【部員ブログ】そうだ、本を読もう
例えば、自分のやりたいこと、やるべきと考えることと周囲から求められることとの板挟みに苦しむとき。例えば、なかなか思うように成長できなかったり、壁にぶつかったりして、自分の進むべき方向を見失ってしまったとき。例えば、新型コロナウイルスの感染流行で〝あたりまえ″が当たり前でなくなったなかで、いま何をするべきなのかがわからなくなったとき。ありますよね。
ない? それならあなたは強い人です。
私は弱いので、よく自分はどうありたくて、自分がなにをするべきなのかを見失います。そしてそのまま多少の浮き沈みを経て、まぁとりあえずできることをやってみよう、となるのですが、要はモチベーションが戻ってくるのを待ってるだけなんですね。この待ってる期間に何かができるようになったり成長できたためしがなくて、できるだけこの期間は省きたい。そんなことを考えながら自粛期間を過ごしていたのですが、そんな簡単に解決できることでもなさそうです。
私の周りにも、するべきことをしない現状を良しとせず常に進むべき方向に視線を向けている人もいますが、自分を見失いがちな人も多くいます。
では、世の中の人はどのようにして自分のやるべきことを貫き、ありたい人物像を求め続けているのかと考えみると、スポーツ選手や企業の社長さん、歴史上の有名な人など、何かを成し遂げたような人たちは往々にして自分自身の哲学を持っているのです。人生観とかモットーとか、そういった類の哲学です。そして、迷ったときにはその哲学を軸として指針として困難を乗り越えてきたようです。軸をもつ人は強いのです。いかにもな人を挙げるとするなら、サッカーでは本田圭佑選手が好例でしょう。そうか、哲学を持てばいいのか。
……で、どんな? 著名人の哲学はそれぞれがそれぞれの長年の苦労の積み重ねの中で獲得してきたものであるようです。
ほう、ならば哲学が天から降りてくるのを待つのみか。そんな悠長なことをしていては残された1年半はなにも得られずに終わってしまうかもしれないので、哲学を持つことにします。もとより私自身、変化が変化を呼ぶ現代において、変化に対応する柔軟性の中にひとつ芯の通った軸の必要性を感じていたので、良い機会です。
では、どのようにして指針となるものを得ようかということになるのですが、本を執筆する人はみな本の中に自身の哲学を色濃く残していることに着目しました。本の執筆は時間をかけて行うため、そこに表れる哲学も洗練されている。
そうだ、本を読もう。本からいろいろな人の生き方や生き様を見て、自分なりの哲学を作り上げよう。
そして本を読む中で、いくつか自身の指針となる哲学を考え付きました。恥ずかしいので特にこの場で言うことはしないのですが、とりあえずはこの哲学を指針に今後サッカーに向き合っていこうと思います。ただまだ軸として不十分なので、これからも哲学を探す旅は続きます。これから先、壁にぶつかって挫折したり、特に新型コロナパンデミックの影響で思うようにことが進まなかったりするかもしれませんが、軸の通った姿勢で前進し続けられたらいいなと思います。残り1年半、迷って立ち止まっている暇はないので。
また、本を読むなかで気づいたのが、やはり人は自分の知っていることの範囲でしか物事を見ることができないということです。自分の知っている切り口でしか物事を考えられないし、自分の知っている現象しか認識できないのです。たぶん、例外もありますが。そして読書は新しい物事の見方を間接的にあるいは直接的に提供してくれる。
このことをサッカーに敷衍して考えると、ひとつのプレーを見るときでも、自分の知っていることしか見れないのです。なら、ひとつのプレーから多くを学び深く知るために、知っている範囲を広げないといけない。知識をつけないといけない。ここでいう知識は本からも学べるかもしれないし、あるいはチームメイトからも得られる。物事に対する見方は人によって異なる場合が多いからです。だから、今後は今まで以上にチームメイトとのコミュニケーションによる情報交換を行っていこうと思います。自分の成長のために。
以上、成長の軸となる哲学を持つことと成長のために知識をつけるということの決意表明の文章でした。取り留めのない文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。1年半のうちに読んでいる人を退屈させない面白い文章を書けるようになりたいものです。終わります。
3回生プレーヤー 上内博貴