【KIU BLOG】エナジー
甘ったるいエナジードリンクを喉に流し込みながら、すっかり暗くなった大学構内で農学部グラウンドに向かって自転車を走らせる。心地よい気温が、思いっきり自転車を漕いでも汗をかかない良い季節を感じさせるとともに、別れの季節が近づいていることを思い出させる。汗をかかない良い季節だなんて呑気なことを言っていられないくらい気温が下がるころに、私が狂ったように追いかけてきたサッカーとの別れが訪れる。
初めて農学部グラウンドに足を踏み入れた瞬間を今でも鮮明に覚えている。今から始まる大学生活と大学サッカーに想いを馳せる私の眼には、思いっきりサッカーに打ち込む上回生と、彼らが生み出すエネルギー、それを照らすナイター照明が、思わず目をつむってしまうほどにまぶしかった。慣れないナイターの明かり、少し湿った人工芝が、ボールを蹴る自分をさっき感じたエネルギーの一部になっているような気にさせて、いい気分だった。
声高らかに入部を宣言した私を待っていたのは、薔薇色の大学生活でもなければ、中高でいい気になってサッカーをしていた頃の私でもなく、大学サッカーのスピード感、球際の強さ、技術についていけない、全くの戦力外の自分だった。こうして私は今までの自分が、努力のようなものをすれば簡単に報われる、ぬるま湯に浸かる井の中の蛙であったことを知った。私は自分が到底大海を泳ぐに値しない蛙であることを知りながら、大海に飛び込んだのである。
それから早4年、思い出すのは苦しかった思い出ばかり。紅白戦でCチームに貼られている自分のネームプレート。1回生からトップチームの練習に参加する同期を眺めながらする練習の準備。自分の名前が無い試合のメンバーの連絡。同期達と飯に行った時に黙って聞いた、自分が出るはずのない週末の公式戦の話。練習での筋トレに加えて毎日家でやった筋トレ。毎日アップロードされる練習の動画でボールをロストしまくる自分の姿。自分がゴールを決めていれば勝ったかもしれない試合の帰り道。
サッカーを諦めるには十分すぎるほどの思い出ばかり。それでも私は夢中で大学サッカーを追いかけた。
何が私を狂ったようにサッカーに惹きつけたのだろうか。時折サッカーが与えてくれるごくわずかな甘い時間であろうか。初めてAチームの練習メンバーに自分のネームプレートがあった時。初めて公式戦で決勝ゴールを決めた時。初めてリーグ戦でゴールを決めた時。同志社の1軍相手にゴールを決めて勝利した時。仲間が私をストライカーと呼んだ時。
とにもかくにも私は京大サッカーに狂っていた。合理的に考えて京大で週6日サッカーに打ち込むやつは狂っているに違いない。社会は私たちをサッカー選手として評価しない。私が4年間、部外の人々から言われてきた簡素な「京大でサッカーしているなんてすごい」という言葉たちは所詮、お勉強のできる奴らがある程度のレベルでサッカーできてすごいという、うわべの評価に過ぎない。そんなことは京大サッカー部に飛び込んだ時点で達成されている。所詮私たちのサッカーには人生はかかっていない。4年間サッカー部で活動すれば華々しい引退を飾り、あるものは大企業に勤め、あるものは大学院生となり、しばしのモラトリアムを享受する。
私が狂ったように追いかけたものはそんな空虚なものだったのだろうか。私が初めて農学部グラウンドを訪れた時に感じた眩しいほどのエネルギーに社会は魅了されないのだろうか。
否、京大サッカーは必死で勉強してきた奴らが、お勉強ができる人間としてではなく、サッカー選手として社会に評価されようと狂ったようにサッカーを追いかける、そんな狂った集団であるはずだ。そんな狂った奴らが生み出すエネルギーにあの日、私は魅了され、今日までそのエネルギーの一部になろうともがき続けてきたのである。
農学部グラウンドについた私は缶に残った甘ったるいエナジードリンクをあおり、残された時間に想いを馳せる。今日もグラウンドはあの日のように眩しく、私はそのエネルギーに吸い寄せられるようにグラウンドに足を踏み入れる。最後のホイッスルが鳴るその瞬間まで、もう少し狂ったように大学サッカーの中でもがいていたい。
4回生プレイヤー 鬼頭幸