【KIU BLOG】分岐点
思えばいつもサッカーだった。
僕は、幼稚園の時にサッカーを始めた。土日は幼稚園がなくて暇だから何かをやらせたいと母が思ったらしい。当時の僕は、根っからの読書少年という感じで、サッカーを始めたと聞いて周りからは驚かれていたらしい。僕の長く長く続くサッカー人生が始まったのは、思えばこの時の母の気まぐれな「選択」が始まりだった。
きっかけは何気ないことだとよく言うが、まさにその通りだ。
僕が、サッカーにのめり込み出したのは、小学校の部活の時だ。当時僕は、クラブチームではキーパー、部活ではフォワードとしてプレーをしていた。僕らの小学校は、規模が小さいながらも、サッカー部に多くの人が集まり、僕らの代は本当にいい仲間と先生に恵まれた。特に先生には、真剣ながらも楽しくサッカーができるようサポートをしていただき、結果大会でもいい成績を残せ、勝つ楽しさ、真剣に取り組むおもしろさを教えてくれた、僕にとって無二の先生だ。
中学校に上がり、クラブチームでプレーをするか部活でプレーをするか「選択」をした。より高いレベルでサッカーをしたかった僕は、金銭面や受験面で親に少し反対されながらも、クラブチームでサッカーをすることにした。ここでは、楽しいだけでなく競技としてのサッカーに触れ、それの厳しさを感じた。当時は思うところも多かったが、今はいい経験になったと感謝している。
僕にとっての一番大きな「選択」は高校受験だ。
ありがたいことに色々なところからサッカーで推薦をいただいていた僕は、サッカーで進学するという選択肢と一般受験で進学するという2つの選択肢があった。この決断が違っていれば、今きっとここにはいなかっただろう。結果として、サッカーのトップレベルでプレーすることは諦め、進学校ながらもサッカーの強い菊里高校に進学した。ここではサッカーを真剣にやりながらも、かつ勉強も手を抜かない友人が多くできた。サッカーを続けながら受験勉強というのはとても大変だったが、仲間とともに乗り越え、それのおかげで京大サッカー部という素晴らしい環境でプレーをできているという今があり、あとから考えればこの「選択」は大成功だった。
僕のサッカー人生には、「楽しさ」を教えてくれた小学校の顧問の先生、「本気」を教えてくれたクラブチームのコーチ、「努力」を共にした高校の仲間、最後にいつでも僕の無茶を支え続けてくれた両親の支えがあって成り立っている。その感謝の気持ちを忘れずに大学でもサッカーをしようと思う。思えばいろいろな「選択」の奇跡があって今があり、その「選択」の中心にはいつもサッカーがあった。
だから、「あなたにとってサッカーとは」と問われれば、こう答えようと思う、「人生の分岐点です」と。
1回生プレーヤー 尾崎祐太