【部員ブログ】6歳から始める大学サッカー
僕の大学サッカー人生は2年半前に京大に入学した時から始まった。しかし、6歳から始まった僕のこれまでのサッカー人生は、大学サッカーを抜きにして語ることができない。
僕の実家は茨城県つくば市の中心部にある。通っていた中学校は、自宅から自転車で10分の場所にあり、細い道路を挟んだすぐ向かいには、研究学園都市であるつくば市の象徴、筑波大学の広大なキャンパスが広がっている。
この筑波大学で活動する体育会サッカー部、筑波大学蹴球部が僕のサッカー人生に多大な影響を与えた。
筑波大学蹴球部は、つくば市において、いわゆるサッカー少年団を運営している。(https://youth.tsukubashukyu.com/)
僕が小学生の頃から市内に10以上のチームがあり、小学生になる6歳から、僕も通っていた小学校の少年団でサッカーを始めた。と言っても、中学年くらいまではスクール色が強く、コーチも日によってバラバラだったし、普通に週末に軽くサッカーを楽しむという雰囲気だった。
僕がサッカーにのめり込んでいったのは、高学年になって、コーチも固定され、段々とサッカーチームらしくなっていった頃からだ。2人のコーチが僕らの学年を担当してくれていたのだが、この2人のコーチが僕のサッカー人生の基礎を築いてくれた。
とにかく、ただの少年団でサッカーをしている僕たちに本気で向き合ってくれた。週3,4回ある練習や試合にはほとんど来て、ボールを大切にするという、一貫性のあるサッカースタイルを叩き込んでくれた。もちろん勝利を目指して日々活動していたが、育成年代の始まりということも十分考慮した、オフザピッチの指導方針も一貫していた。
コーチも1人の大学生であり、サッカー強豪校であり国立大学である筑波大学で、選手として学生として、忙しい日々を送っていたはずである。そんな中、大した賃金ももらえないのに、あれだけの情熱を、特にサッカーエリートでもない少年達に注いでくれたかと思うと、なんだか今の自分の大学生としての有様が恥ずかしくなる。
小学生時代に留まらず、中学、高校のサッカー部でも、筑波大出身の顧問の先生や外部コーチの方を通して常に蹴球部の影響は受けていた。
元々文武において努力を惜しまない大学生が、子供達に対してもこれだけ情熱を持って接してくれていれば、子供達やその家族は嫌でも彼らのファン、ひいては筑波大学蹴球部のファンになってしまう。
小学生の頃の僕は、蹴球部の主催するバスツアーに参加してトップチームのリーグ戦を観戦したり、当時3,4軍だったコーチの出場するただの練習試合を筑波大学のグラウンドまで応援しに行ったりしていた。普段は優しい兄貴分のコーチが雨の中、グラウンドで選手として闘っていた姿は今でも記憶に残っている。そんなコーチに憧れて筑波大学蹴球部でサッカーをすることを本気で目指していた時期もあった。
おかげで今でも蹴球部の試合結果はどんなカテゴリーでもいちいちチェックしてしまうし、そこで地元の同期や先輩後輩が活躍している様子を見ると少し羨ましくなってしまう。
両親は、筑波大のグラウンドや県内のスタジアムに試合を観に行っては良い試合やったで、とか駅前で試合の告知のビラ貰ったで、とか僕にLINEしてくる。
家族ぐるみで地元のJリーグやアマチュアリーグのチームを応援していて、子供はそのチームの下部組織でサッカーをしていて…という家庭は今時珍しくないと思う。僕の実体験からすれば、間違いなくこれと同じことは大学サッカーでも可能だと言える。
実際に定期的にサッカースクールを開催している大学も少なくない。簡単なことのように言ってしまうが、そこからもう一歩踏み込めば、僕がそうだったように、地域のサッカー少年やその家族をどんどん大学サッカーに巻き込んでいくことができる。
このことがどれだけ価値のあることなのか、どうやったらその実現に近づいていけるのか、といった具体的な話をするのは今の僕にはなかなか難しい。
ただの夢物語のように終わってしまうのが残念だが、とりあえず、大学サッカーに育ててもらった身として、残り1年の自分のサッカー人生を、大学サッカー人生を、全うしようと思う。
三回生プレイヤー 奈佐原寅太郎
寅、頑張ってるな、誇りに思う。応援してるわ!
竹山コーチ