【部員ブログ】無駄は悪か
あなたは「無駄」という言葉を聞いてどんなイメージを思い浮かべるだろうか?
おそらくマイナスなイメージを浮かべる人がほとんどではないかと思う。現在コロナウイルスの影響によって不要不急の物事が避けられており、自分が長年やってきたサッカーも含めてスポーツやエンタメの分野が不要不急のものとして分類されている。
そんな今の状況だからこそ無駄というものについて考えたいと思う。
近年は特に「無駄」が嫌われているように感じる。その理由としては非常に多くの物事に囲まれる現代で本当に必要なものがわからなくなる、また不要なものをなくすことで本当に必要な物事に集中できるなどがあるだろう。そのため、持ち物をできるだけ減らし必要最小限のものだけで暮らす人のことであるミニマリストや断捨離といった言葉が広まったのだろう。究極的に言えば生きるために必要なこと以外は無駄なのかもしれない。ならば自分にとってサッカーは無駄なことになる。では本当に無駄とは悪なのだろうか。
自分はそうは思わない。なぜなら率直に言って無駄の一切ない生活はつまらないからだ。個人的に今のサッカーをすることも観ることもできない生活はとても退屈である。自分の生活はサッカーによって楽しいものとなっていた部分が大きかったのだとわかった。では無駄というものをどのように捉えるべきなのだろうか。
建築の用語に「遊び」というものがある。意味は、あえて緩みや余裕を持たせてつくることによってスムーズな動きを可能にしたり、経年変化による影響が出ないようにすることである。僕は、無駄とは人生におけるこの遊びのようなものであると思う。無駄をそぎ落とした生き方は一つのことに集中できるがその一つがうまくいかなくなれば生きること自体に意味が持てなくなるかもしれない。だから無駄、つまり遊びは人にとって不可欠だと思う。様々な無駄が人生を楽しくする、そしてたくさんの選択肢があり幅のあるフレキシブルなものにするのだと思う。自分にとってはサッカーが人生における大切な遊びの一つなのである。
そんなサッカーを全力でプレイできるのもあと1年半ほど。京大に入ってまで体育会でサッカーをするのは無駄だという人もいるかもしれない。でも自分にとっては自らの人生の大切な「遊び」である。そのサッカーに真剣に取り組めるこれからの貴重な1日1日を大切にしていきたい。
3回生プレーヤー 石田大