【部員ブログ】愛していたんだとか

例えば、好きなアーティストのライブやコンサートに行くと、CDやレコードで音楽を聴いた時の何倍もの感動を得られますよね。それもそのはずで、CDの再生できる周波数帯は20kHz程度までで、人間の耳の可聴域もそれぐらいまでだそうだ。
じゃあそれ以外の音はどうなのかと言うと、人は可聴域外の音を皮膚で知覚する。
自分がサッカーで味わってきた感動もきっと似た類のものなのだと思う。
ドリブルで相手を置き去りにした時、意表を突くパスを通してみせた時、自分のゴールでチームが勝った時。
どれだけ後でビデオを見返してみても、写真を眺めてそのシーンをどれだけ鮮明に思い出そうとしてみても、その時、その場所で肌で感じたあの感覚は戻ってこない。
あの感動こそがきっとサッカーを続けてきた理由のひとつだろう。
だけど、人はきっと欲深いもので、もっともっと欲しくなる。「もっと上手くなってやる」「次はもっと強い相手に勝つそうやって、果てしなく続いていく。
上には上の世界があって、そしてその分だけ積もっていく後悔や未練もあって、厳しい状態を受け入れたくなかった自分もいた。
けれども、まだやれると自分のことを信じてきたから、今日までサッカーを続けてこれたのだと思う。
これ以上は足がもたないと言われても、「まだやれる」「もうひと華ふた華咲かせたいという気持ちを捨てなかったから走り続けてこれたんだと思う。
そんな自分を振り返った時、諦めずもがく日々は何よりも素敵で、そんな毎日を追いかけている時が他のどんな時よりも輝いていたことに気づく。
サッカーに夢中になった毎日が美しいものだった
それは決して当たり前じゃない幸せなことだ
サッカーで味わえた一瞬の感動とそれを追いかけた時間を、これからいつまでも大切に、心の中にしまっておきたい。
どんな物事にもいつか終わりが来る。
痛い、辛い、もう限界だと弱音を吐きながらも、もう一度輝く自分を追いかける日々だって永遠には続かない。
それでも、たとえそんな日々に終わりがきても、サッカーに夢中になった自分を誇りに思っていたい。
いつまでもサッカーを好きでいたい。
そして、これからも続いていくサッカーの夢は何かと自分に問いかけたなら、きっとそれは、
サッカーが好きな自分を、愛していたいんだとか
最後まで読んでくれた皆さん、ありがとうございました。
この文章を読んでくれた方がどんな人か知ることはできませんが、皆さんにも、幼い頃から大切にしてきた物、夢中になっている物、今日まで諦めきれなかった物なんかがあるかと思います。
時にそれは心に絡まり、潰されそうになることだってあるかもしれませんが、そんな日々を振り返った時に、それらを追いかけた自分を愛せるような、ほんの一瞬の煌めきのような瞬間が、皆さんにも訪れることを願っています。
3回生プレイヤー 八軒和輝

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