【部員ブログ】寝不足
幼稚園の年中から始まった私のサッカー人生は、高校までは自分で振り返っても悪くないものだったと思う。どの年代でも試合に出続けていたし、周りにすごいねって言われる程度にはチームも結果を残していたし、私もそれなりに満足していた。
しかし、大学に入ってからはそんなに甘いものではなかった。
一回生の時、同じタイミングでAチームに上がった同期がそのままAチームに定着した一方、私はすぐにBチームに戻された。初めて出番が訪れた新人戦では、ファーストプレーで致命的なミスをした。
二回生の時、コロナの活動休止明け最初のAB分けでAチームに入れず、その後しばらくAチームに関われなかった。ようやくAチームに入っても、一度もリーグ戦のピッチに立つことはなかった。毎週、ベンチから試合を見終えた後、さっさと着替えを済ませチームの荷物を車に積むことしかできなかった。
そして、三回生になり、スタメンに定着できたかと思ったら次の試合ではスタメンを外れてしまった。試合に出ても、自分のせいでまた勝ち点を失ったと感じてばかりである。
勝負の世界に身を置くということは、悔しい思いを何度も繰り返すことなのだと大学生になってから強く実感させられた。記憶とは美化されるものだとどこかで聞いたことがあるが、振り返ると、私の大学サッカーでの印象的な出来事は悔しかったことの方が圧倒的に多い。
上に書いたような出来事があった日の夜は悔しくて眠れなかった。周りにチームメイトがいる間は何となく気持ちも紛れるが、夜一人ベッドの上で横になった途端、負の感情がどっと押し寄せてくる。延々と悔しさや嫉妬やイラつきなどの感情が頭を駆け巡る夜は辛く長い。
気分転換しようと好きな小説を開いてみても、全く頭に入ってこない。どうせ起きているならと思って課題をやろうとしても、全く手が動かない。後悔や自分の欠点や不満など意味のないことばかり考えて睡眠の時間だけが失われていく。こんなウジウジするくらいなら体を動かそうと、夜中に近所の鴨川に走りに行って、「明日こそやってやる」と曖昧な決心をして満足する変なテンションの夜もあった。
この文面の流れだと、これらの悔しさをバネに成長できた、となるべきなのだろうが、いざ練習になると、これ以上失敗できない、評価を落としたくないなどの、自分の成長という本質からずれた気持ちが大きくなってしまい、消極的なプレーを選択して結局上手くいかないことが多かった。そしてさらに自己嫌悪に陥り、また実りのない眠れない夜を迎えていた。
そんな私の心に刺さった言葉がある。
「ネガティブな自分にネガティブにならない」
今年からチームに協力してもらっているメンタルトレーニング指導士の方の言葉である。
あることに対してネガティブな強い感情を持てるということは、それだけそこにかける思いが強いということ。悔しさの度合いはそれまでの努力の量に比例するということ。
そう考えると、負の感情に支配される夜も悪くないのかもしれないと思えるようになった。そんな夜は確かに辛くてたまらないが、悔しさもなしに熟睡する自分より、悔しくて眠れないほどサッカーに熱量を注げている自分の方が好きだ。ネガティブになってしまう自分をポジティブに受け入れていこうと思えた。
残り一年余りの大学サッカー、全てが順風満帆にいくことはまずないだろう。いつかまた必ず訪れる挫折の日の夜、一睡もせず馬鹿みたいに鴨川で走っている自分でありたい。
3回生プレーヤー 山本耕平