【部員ブログ】シーラカンスと僕
僕の大好きなサカナクションの曲の一つに「シーラカンスと僕」というものがある。
この曲は山口一郎さんが、世の中に合わせて変わっていかなければならないと分かっているが、
変わりたくないとも思っている自分自身を昔から変わらない姿のシーラカンスに例えて歌詞にしたものだと解釈している。
自分の場合はどうだろうか。
大学以前のサッカー人生はこれまでの部員ブログで振り返ってしまった。
なので、今回は大学でのサッカーについて振り返ってみる。
1年生の時は、まったく大学サッカーのレベルについていけず、紅白戦でAチームの先輩にめちゃくちゃ怒られたりした。
Aチームの人との練習が本当に嫌で、チーム分けの時に怖い先輩と同じチームにならないようにわざと横に並んだりしていた。
こんなやつが学生リーグに絡めるわけもなく、1年間Bチームの底辺で過ごした。
ただ、そこで自分も何もしなかったわけではなく、戦術を先輩に聞きに行ったり、ビデオ反省を一緒にしてもらったりして少しずつ練習にもついていけるようになった。
後期にはIリーグに複数試合出場させてもらい、苦しかったが成長実感があった。
2年生の時は、先輩に教えてもらったことで深まった戦術理解の効果が出始め、Bチームの中で、守備が1番できていると思っていた。
この強みを活かしながらAチームに上がることができるという確信があった。
しかし、コロナウイルスの感染拡大は止まらず、練習は数ヶ月止まってしまった。
復帰後はなかなかサッカーの感覚を取り戻すことは難しく、Aチームにも全く絡めないままシーズンを終えてしまった。
Bチームの副将やIリーグ実行委員といった役職を務めさせてもらうこともあり、人として大きく成長できたような気がする一方で、それだけでは満足できなかった。
3年生の時は、新チームになって数ヶ月して怪我人が増え、練習試合ではあるがスタメンで試合に出ることができた。
今シーズンはやれる、そう思っていた。
しかし、それ以降は鳴かず飛ばずだった。仲の良かった部員の退部、怪我による長期離脱、システムの変化による評価の低下、Bチーム主将と個人の目標達成の両立。
困難とそれによるモチベーションの低下を挙げればきりがない。何度も辞める選択肢が出てくるほどこの1年は本当に苦しかった。
だけど、辞めなかった。困難な目標に向かい続ける自分で居たかったからだ。
確かに、サンクコストは計り知れない。諦めた方が楽しい人生を送れたかもしれない。
でも僕はシーラカンスのように、いつまで経っても変わらず、困難に立ち向かい続ける自分でありたかった。
4年生になり、目標であった学生リーグにもスタメン出場することができた。ただ、チームに貢献したとは言えない。
今は出場するだけでなく、チームの勝利に貢献するために、日々を過ごしている。
今後どんな困難に打ちのめされても、「どうか僕が僕のままあり続けられますように。」
4回生プレイヤー 野村岳大