【KIU BLOG】存在意義
「なんで選手をもう引退したの?」
今年は体育会サッカー部に所属する理由よりもこのことをよく聞かれる。古い友人と飲んでいる時や就活の面接の時など、いろんな場面で訊かれるためもうそろそろうんざりしてきたが、幸い前者よりも答えやすい質問で少しうれしい。実際、選手を引退した理由は「自分の存在意義を示すため」という理由のほかでもない。
選手として活動していた時の自分はすべてにおいて劣っていた。パフォーマンスは悪いし、身体は弱いし、メンタルはボロボロ。誰かにアドバイスを乞うこともなかったし、自分と全く向き合ってなかった。今や分析官となった自分が自身の選手時代のことを見返すと、自分は部にとって不良債権でしかなかった。チームに貢献どころか、チームの足を引っ張る存在だった。つまり、自分には選手として京大サッカー部に存在する意義がなかった。存在する意味がないのなら退部すればいいのではないかとも考え始めた。
しかし、結局退部するという決断はしなかった。
いろいろと考えた末、部に自分の存在意義をまだ示せていないという結論に至った。自分が京大サッカー部のメンバーとして登録されている以上、何らかの存在意義を示す義務があると思う。自分が居るチームといないチームとの間に大きな差分があれば自分には存在意義があるといえる。もし存在意義が相対的に低いと感じれば自己研鑽に取り組む。それがチーム内のポジション争いの本質だともいえると思う。このような存在意義の誇示の争いから逃げた自分は正直ダサい。しかし、完全に逃げたかと言われればそうではない。別に選手じゃないと自分の存在意義を示せないというわけではない。今は分析官として自分の存在意義を確立しようと違う舞台で戦っている。選手を引退したという決断を正解にするべく、これからも自分の存在意義を大いに示していきたい。
3回生アナリスト 新谷和也