【KIU BLOG】憧れ
遠藤保仁が引退した。
誰もが知る日本のレジェンドが今年の一月にプロキャリアを終えた。
小学生の頃、初めて生で観て衝撃を受けてから今日まで、彼の出場したほとんどの試合を観てきた。
彼のパスもシュートもPKも全て真似してきたし、真似しようとすればするほどサッカーの面白さに引き込まれていった。自分のサッカーのルーツであり、ずっとお手本の選手である。
12歳の誕生日に、両親に初めてカンガルー革のスパイクを買ってもらった。
棚に並ぶアディダスやナイキのシューズをよそに、私は一番端に置かれていたアンブロのスパイクを選んだ。
堂々と書かれた「遠藤保仁着用モデル」という文字に強く惹かれた。
全く同じスパイクを履けば、彼のように飄々と美しいサッカーができるかもしれないと思った。
プレゼントはそれだけではなかった。
シューズの購入者の中から抽選で選ばれた僕は、アンブロが主催する彼のトークイベントに招待された。
イベントは夢のような時間だった。
近くで見た憧れの人は思っていたより大きかったし、思っていたより猫背だった。
あっという間に時間は過ぎていき、最後の質問の時間となった。
周りの大人たちに負けないように僕は精一杯小さく短い手を挙げた。
とにかく質問したいという気持ちだけで内容は何も考えていなかったし、本当に当てられたときは緊張も相まって頭が真っ白になったが、
必死に震えるような声で
「どうすれば遠藤選手のような曲がるフリーキックが蹴れますか。」
と質問した。
今思えば、少年サッカーのコーチに聞けばいいような質問で恥ずかしくなるが、彼は、
「大きくなって筋力がついたらきっと蹴れるようになるから練習を続けて。」
と優しく答えてくれた。
彼のことがますます好きになった。
選手としての憧れから人としての憧れへと変わった瞬間であった。
引退発表後、彼とガンバ大阪のキャプテンである宇佐美貴士選手が対談をする動画があった。
宇佐美選手からサッカー人生の中で辛いことは何割だったかと尋ねられた彼は、ほとんどゼロだと答えていた。
彼らしい答えではあるが、僕にはかなり衝撃的な答えだった。
ガンバ大阪にとって初めてのJ2降格が決まったときや、史上最強と言われながら一勝もできずに終わったブラジルワールドカップなど、
僕の知る限りでもこれまでの彼のサッカー人生には辛くて後悔に苦しむようなことが多くあった。
それでも彼は、当時はそれが精一杯で、試合後も試合前も何も変わらないと言う。
きっと彼は常に目の前のことだけを考えている。
どんな負け方をしてもすぐに立ち上がって次の試合を見据えて歩きだしている。
J2に落ちたときもすぐに切り替えて一年で昇格、次の年には三冠を達成している。
誰よりも早く進みだすからこそ、人は彼の背中についていく。
そうやってクラブを、代表を、日本サッカーを引っ張ってきたのだ。
自分のサッカーについて考えてみる。
今シーズン前期、チームは毎週のように敗北を重ねていた。
僕は、毎週のように悩み、苦しみ、現実から目をそむけたくなるたびに過去の自分を責め続けた。
正直、今までのサッカー人生で最も辛かった。
負けるたびに強くなっていたかと聞かれればそれも分からない。
積み上げてきたものがあるか不安でずっと後ろばかり見ていた。
試合前に抱えていた情熱は、90分後にはどこにもなく、気づけば座り込んだまま文句を垂れていた。
切り替えとは口ばかりで過去の失敗を取り繕う言い訳だけを探していた。
成長などするはずもなく、来る翌週の試合に勝てるはずもなかった。
自分は前を向いていただろうか。
たとえ一歩でも進もうとしていたか。
大きくなったときを楽しみにフリーキックを蹴り続けていた、あの時のような気持ちで練習に臨めていただろうか。
現実を受け止め、向き合った先には立ち上がらなければいけない。
立ち上がって一歩ずつ歩き出さなければいけない。
のしかかる責任は重いが、日本中の期待を背負っていた彼に比べればちっぽけである。
来年、サッカー人生の最後に憧れのあの背番号を背負って戦えるように、選手として、一人の人間として変わらなければならない。
幸いなことに、僕の周りには手を引っ張ってくれる仲間がいる。
背中を押してくれる家族や友人がいる。
今度は自分が彼らの手を引っ張って、背中を押せるようになりたい。
彼はもう、次のキャリアをあのマイペースな足取りで進んでいる。
いつまでも下を向いていては置いて行かれてしまう。