【KIU BLOG】思いのままに
部員ブログの時期がやってきた。正直書きたくない。こう言う長い文章で何を書けばいいか分からないから。人のを読むのは面白い。でも、いざ自分の番になると何書けばいいか分からない。一旦実家帰るか。
結局帰ってる間も内容は思いつかなかった。だから、去年自分が何を書いたか見返したところ、「こいつ大丈夫か」みたいな鬱文章が出てきた。恥ずかしい。
あのとき自分がどれほど悩んでいたかはもう覚えてない。恐らく後悔のない選択をしようと必死だったのだろう。自分の行動理念というのか、信念というのかは知らんが、その「なにか」が決まってそれに基づいて行動していれば後悔はしないとこの頃の私は信じていた。考え続けて出したそれには価値があると思い込んで、ずっとそれを探していた。生きる指針があれば楽になれると思った。
あれから一年がたった。答えはまだ見つかっていない。というより、考えることをやめた。分かるわけがなかった。当たり前だ。一生涯後悔しない選択をできる20なりたてのガキがこの世にいてたまるか。どうせどんな選択しようと人間として生きている限りは絶対どこかで失敗する。後悔する。挫折する。でも、もうそれでいい。
誰も結果は分からない。一手、ニ手先の未来は予想できても現実ではそれが限界だ。自分がどんな人に囲まれて死ぬか、一人で死ぬかなんて誰にも分からない。結果は分からない。故にどういう選択が正しいもない。たとえ、生きる指針に従ったとしても。この世の全ては終わってからしか分からない。
考え続けることを過信してはいけない。答えの出る問題については考え続けることは正しいのかもしれない。でも、ほとんどの問題にこれといった答えはない。全てが正しいようにも見えるし、間違ってるようにも見える。考えるという行為は大事だ。でも、その行為に縛られると重すぎる足枷になってしまう。動けなくなる。
いつの日か考えるのに疲れてあれこれ考えるのをやめて伸う伸うと生きていたら、自分のことなど大して可愛くも大事にも思っていない自分に気づいた。あぁどうでもいいやん。
どういう結果になったとしても、悲観しない。だってそんなに気にする自分もいないから。後悔も怖くない。そんなこんなでずっと探していた「なにか」はまた暇な時に考えることにした。死ぬまでに答えが出ればいいかな程度に。俺の中でのすごいながいだるい期間はここで終わった。何を悩んでたんだろう。
かつて自分にとって大事だった人に「もっと楽に生きたらいいのに」と言われた事がある。最近、その言葉の意味を少しだけ理解できた気がする。
最近サッカーが楽しくなってきた。体が軽くなった(もっとも怪我は頻繁にするようになったが) 。思考を制限されるより身体的な制限の方が何十倍もマシだ。頭を悩ましていたことがなくなった分、頭をサッカーに使える。自信のあるプレーも出来る。顔も上がる。
結果は知らない。いい選択も分からない。けど幸い、自分が賭けたい道は分かる。だから、思いのままに生きる。後悔するのは終わってからでも遅くない。
3回生プレイヤー 田端大渡