【部員ブログ】とある台詞
昔々程ではない昔に、ある所のある人が言った。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
ある所とはドイツ国であり、ある人とは「鉄血宰相」と呼ばれたビスマルクである。そんなお偉いさんの言が字面通りの意味ならば、学習能力が無さすぎて歴史、つまり他人から学べない自分はこの愚者でしかない。他人から学べた事は、酔っぱらって同じ事を延々と喋る父親の姿を見て、お酒の飲み過ぎは地獄を現世に召喚し得るので人前では絶対に飲みすぎないよう気を付ける事くらいしかない。そんな愚者であっても、いや、愚者であったからこそ身をもって実感した事がある。
「これでいいのだ」
中学一年の終わり頃、部活の試合中「バキッ」という音と共に左膝を怪我した。その当時の診断は骨挫傷であったが、後に膝のどこかしらの骨が剥がれた音であったと分かった。結論から申し上げると、この怪我のせいで3、4ヶ月の離脱を余儀なくされ、復帰しても最後までレギュラーに返り咲くことは叶わなかった。
しかし、それで良かったのだ。
復帰してから引退までの間、公式戦に殆ど絡めなかったが、それで良かったのだ。
剥がれた骨は今も膝の中のどこかに収まっていて、時々急に収まっている所から出てきて歩行困難に陥るけれど、それで良かったのだ。
怪我していたお陰で新入生の面倒を見る担当になった。そこで後輩には沢山のサポートが必要である事が分かり、出来る限りのサポートを心がけて過ごすようになった。そこを評価されたのか副キャプテンに選ばれたが変わる事なくサポートに徹した。同期には副キャプテンらしくないと揶揄されたこともあった。しかし中学校卒業時に、ある後輩がLINEでわざわざ「最高の副キャプテンだった」と言ってくれた。それはお世辞だったかも知れない。でも、自分の思いが後輩に届いていた証左に他ならないと思った。それだけで試合に出られなかった惨めさも、何もかもを許せた。それだけで十分だった。だからこれで良かったのだ。
これが、昔の人が既に気づいていた、「これでいいのだ」の真の意味を自分の肌で実感した時だった。
この出来事の後にも様々なことを体験し、知識として獲得し、学んだ。そして今確かに思う。物事はなるようにしかならないのだと。(だからあえて抱負は書かない。決して、断じて、誓って、書き忘れていて修正が面倒だったからでは無い。)悪く思える事であっても必ずどこかで帳尻は勝手に合うのだと。だから今は、サッカーを辞めるまでの道が、道を歩いた先がどんなものでも構わない。なぜなら、どんなものであっても、「それでいい」のだから。
2回生プレーヤー 高嶋祐司