【KIU BLOG】フラムルージュ
残り1 kmの赤いゲート。からしそばの黄色。緑映ゆるピッチ。さながら火に入る夏の虫のように、その緑に引き込まれてゆく。
始まりと終わりは肝心なことが多い。どの解像度で見るかにもよるのだが、ワンプレーずつでいえば認知などの準備の段階に加えて最後まで見て選ぶ決断が、一連の攻撃でいえば組み立てとフィニッシュが、1試合でいえば入り方とともに締め方が。大学サッカーという単位で考えれば、僕にとっての終わりが近づいている。

今シーズンの始動ミーティングだったか、ヘッドコーチがこう言った。「誰かのためにプレーしろ。」と。はたして僕はこれまで誰のためにプレーしてきたのだろうか。「何のためか」だと答えやすい。勝つため、楽しむため、上達するため。「誰のためか」はここから導かれる。つまり、すべて自分のためだった。
自分を差し置き他人のためにプレーする、などと偉そうなことはプロのようなトップレベルの選手が言うものだと思っていた。だが偉そうにしていたのは自分自身だった。あんなに支えてもらってきたのに。こんなに応援してもらっているのに。許されるならば今からでも人のためにプレーしたいと思った。

しかし、実際に人のためになれたかというとそんなことはない。分かりやすく勝ちという形で喜びを共有することも数少ない。さらには少し前、久しぶりにつかんだ勝利を素直に喜べなかった。試合内容がつまらない、楽しくないと零してしまった。まだ自分は何も変われていないのかもしれない。

先日、世界陸上が東京で開催され、足を運んではいないが画面越しに見ていた。いや、目を奪われた。陸上が特別好きなわけでもないのに自然と応援している自分がいた。会場にも国を問わず応援する観客が大勢詰めかけており、大舞台で自己ベストを更新する姿や良い結果を残したように思えるにもかかわらず課題を見つけ涙する様子を眺めていた。選手たちは皆、口を揃えて応援が力になったと言っていた。応援する側とされる側の関係をやや俯瞰的に見ることができた。これで良いんだなと。そう思った。

自分でもできる限り最高の景色を追い求めていく。そして、それは応援をエネルギーに変換することにより達成しやすくなる。達成できないかもしれない。けれど、その景色は共有される。分かち合うことで感情でつながり合える。
あのゲートをくぐれば残りはあとわずか、クライマックスを迎える。もがくなら今。応援してくれている人の心にフットボールを、想いを届けたい。
4回生プレイヤー 小原拓士
