【部員ブログ】奇縁
突然だが、あなたは運命の出会いを信じるだろうか。本来なら僕も運命を信じるほどのロマンチストではないのだが、僕の今までの人生は、京大サッカー部と出会い、そしてここでサッカーをするように運命づけられていたような気がしてならない。
初めて京大サッカー部の存在を耳にしたのは、母親の口からだった。僕が小学生の頃のことだっただろうか。どうやら僕の母方の祖父は京大サッカー部のOBであるらしい。それを聞いた当時の僕の印象は大したものではなかった。当たり前のことだが、すでにサッカーを始めていたとはいえ、小学生の僕には京大サッカー部が魅力的な集団だとは知る由もなかった。そもそも京大とサッカーが結び付くような印象さえ無かった。ただ、「京大」という部分は幼心ながらにすごいと思ったらしく、その時から漠然と京大に憧れを抱くようになった。
祖父から直接、大学生だった頃の話を聞いたこともあった。サッカー部員は皆リフティングは数十回しかできなかったこと。日本サッカーの父と称されたクラマー氏が来日した時のこと。当時は学生運動が盛んで、授業はほぼ休講になり、学校にはほとんど行かずとも単位が貰えていたこと。もう10年以上も前に聞いた話なのにこうしていくつも覚えているのは、自分の知らない世界に、知らず知らずのうちに興味が湧いていたのだろうと今になって思う。
時は流れ僕が高校生になり、京都大学が手の届きそうなところにあるとわかった時、大きな迷いもなく、自然と志望校を京都大学に決めた。そして無事合格を果たしたものの、多くの新入生と同じように、僕も大いに迷っていた。この大学生活で何をするのか。そのためにどの団体に所属するのか。突然与えられた無数の選択肢を持て余してしまっていた。それでも最終的に選んだのはこの京大サッカー部だった。入部を決めた理由に祖父のことはなかったが、入部を決めて最初に思い出したのは祖父のことだった。この時初めて、京大に対してだけでなく、祖父が所属したこの京大サッカー部というチームに対しても憧れを抱いていたことに気づいた。
何の因果か、およそ60年の時を越え、祖父が大学生活を過ごしたここ農Gで僕もまた毎日ボールを追いかけている。不思議なこともあるものだ。僕と京大サッカー部を引き合わせてくれたこの不思議な縁に感謝したい。そして今も応援してくれている祖父に、昇格という最高の報告を届けるとともに、このチームをより良いものにし、京大サッカー部を未来へと繋いでいけたらと思う。
3回生プレーヤー 朝田遼