【部員ブログ】流れ信者
大学2年の春、衝撃的なものに出会った。
「麻雀」である。
麻雀は、1から9までの3種類の「数牌」と7種類の「字牌」があり、それぞれ4枚ずつの計136枚で行われる。
基本4人で行われ、手牌は3枚1組の面子を4つと、雀頭と呼ばれる同じ牌を2枚揃えての計14枚で構成される。自分の13枚の手牌に、牌が積まれている山から1枚取り、14枚の中から要らない牌を場に切っていく作業を順に行い、役と呼ばれる点数がつく組み合わせを作り上げ、誰がはやくあがるか競い合うゲームである。
麻雀の面白いところは、なにから切るか、どの役に向かうかの選択が人によって全く違うというところである。
麻雀には確実に「流れ」というものが存在すると思っている。
「流れ」を掴んだものはあがりがはやく、点数も高い。またすべてが、「流れ」を掴んだ者に有利に働くようになっている。「流れ」を掴んだ者は決して他人の当たり牌を掴むことはなく、「流れ」が悪い者は他人の当たり牌を掴んでしまう。どう考えてもあがる確率は俺の方が高いのに、何で負けんねんという状況は多々ある。逆に「流れ」がいい時は負ける気がしないほど自分の思い通りの牌が集まりあがれるのである。
しかし「流れ」がいい者も、それを失う時がある。決定的なミスをしたとき、神様はそれを許さない。たちまちいい流れを手放してしまう。
少牌をしてしまったり、選択ミスを犯したり、しょうもないミス、油断が命取りとなるのだ。
「流れ」というものは味方につければ心強いが、敵にするとこの上なく脅威である。
サッカーにも「流れ」は存在する。
2019年の関西選手権、俺達 京都大学は初戦、3部リーグに属している森ノ宮医療大学と対戦した。
試合序盤から俺達は浮き足立ち、向こうは明らかに勢いに乗っていた。
向こうは初戦を勝利で飾り、勢いにのって俺達との試合に臨んできた。
俺達は初戦ということもあり、また相手が3部リーグ所属であるために油断していたのか、試合の入り方は温く、故に「流れ」は完全に相手にあった。相手を舐めて試合に臨んだ人はいなかっただろう。しかし、無意識のうちに脳裏に油断があったのかもしれない。
「流れ」を取り戻すことは容易ではない。
結果、0-3で前半を折り返した。
しかし後半明らかに相手は3点差であることに胡座をかいていた。後半に臨む姿勢は試合前とは真逆になっていた。
ハーフタイムという「流れ」の変わり目があり、相手は3点差の余裕で「流れ」を手放した。
結果、延長にまでもつれこんだが3点差をひっくり返した。
もし相手が前半のときのような姿勢で後半に臨んでいれば、負けるようなことはなかったのではないか。
準備 姿勢 気持ち 等、「流れ」を左右する要素は多々ある。
現在、関西学生サッカーリーグで京都大学は6位に位置している。
物事に「流れ」があるなら関西学生リーグにもあるだろう。
前期リーグは「流れ」に乗れなかった俺達は、中断期間という「流れ」の変わり目に、勝つために万全の準備をし、謙虚な姿勢で、どんな相手であろうと勝利するという気持ちをもって、自分たちで「流れ」を引き寄せ、昇格を勝ち取りたいと思う。
俺達は昇格する。
三回生プレイヤー 辻淳基