【KIU BLOG】感謝と責任
この1年で、試合に出ることのありがたみを嫌という程痛感した。
昨シーズンは、Bチームの試合すら出られない日々が続いた。前期は怪我でほとんどピッチに立てず、後期はポジション争いに敗れ、出られたとしても試合終了間際のたった10分。正直、楽しい日々ではなかった。それでも、このチームにいたいという気持ちだけは揺るがなかった。なぜなら、ゴールや勝利の後に爆発する歓喜は他の何物にも代え難い、唯一無二の瞬間であり、たまらなく病みつきになるものである。京大で、あの歓喜を味わうことが出来るのはここしかない。

1回生の最初は、ただその歓喜を漠然と受け取っているだけで幸せだった。しかし、そんな甘い考えは徐々に消えていった。自分がチームに歓喜をもたらしていないことに気づいたからだ。自分は、このチームにとって本当に必要な存在なのかと自問自答する日々が続いた。

ピッチに立てない時間は、自分と向き合う時間でもあった。自分が大学生になってもサッカーを続ける理由を考えた。答えは分からない。だが、サッカーについて考えるにつれ、この1年間でこのチームから貰った歓喜を、今度は自分がチームに貢献するという形で返したいという気持ちが強くなってきた。そして、その思いは、練習への取り組み方を変える原動力となった。ひとつひとつの練習メニューの意図を考え、目的意識をもって取り組むようになった。

今シーズン、私は再びピッチに立つチャンスを得た。それは、決して当たり前のことではない。チームメイトやスタッフの支え、監督やコーチの指導、そして何より、サッカーができる喜びをかみしめている。10分でも、いや、1分でもピッチに立てるなら、そこで全力を尽くす。それが、この1年で学んだ、感謝の気持ちの表し方だ。

京大サッカー部は仲良し集団ではない。ほとんど会話を交わさない仲間もいる。それでも、週5日も同じグラウンドで厳しい練習に取り組むのは、あの歓喜の瞬間のため。そして、勝利の瞬間をチームメイトと分かち合う時、私はもう、ただ受け取るだけの存在ではない。チームの一員として、チームに勝利を届ける存在にならなければならない。それがピッチに立つことを許された人間が持つべき責任だ。あの日、自問自答した「自分は本当に必要な存在なのか」という問いに対する答えを、今もこの胸に抱いている。
2回生プレイヤー 鎌田航輔
