【部員ブログ】幸せを求めて
人間誰しもが幸せに対する欲求を少なからず持っているだろう。私も幸せになるために生きていると言っても過言ではない。
美味しいものを食べる、音楽を聞く、運動をするなど、幸せを感じる瞬間は人それぞれあるだろう。
だが、ここに非日常というスパイスを加えることでこれらは最高の幸せへと昇華される。
北海道の旅館で美味しいものを食べる、ウィーンでオーケストラの演奏を聞く、新品のシューズとお気に入りのジャージを身に着けて運動をする。
何となく幸せ感が増したように思えませんか?私が今サッカーをしている理由もここにある。
大前提として、私はサッカーをするのが好きだ。特に練習後に自主練とは名ばかりの一対一や鳥かごをするのが大好きだ。だが、これはあくまでサッカーの日常的な幸せに過ぎない。
私が思うサッカーの最大の魅力はその非日常的瞬間にある。京大が関西一部のチーム相手に大番狂わせを起こす(来年後輩達がやってくれると信じています!)。FWなら、大事な試合でゴールを決めた瞬間。さらに言えば大会決勝後半ロスタイムの決勝ゴール。DFなら、シュートをブロックした瞬間。もっと言えばゴールカバーに入りゴールラインぎりぎりでボールを掻き出してチームを救った瞬間。こういったサッカーにおける非日常的瞬間の興奮から得られる幸せは何物にも代え難く、その非日常性が高ければ高いほど得られる幸せも大きくなる。サッカーには無限の非日常的幸せの可能性が秘められている。その一方で、サッカーは時に人を苦しめることも私は知っている。本気で部活を辞めようと思ったことこそないが、プレーをするのが怖くなったり、サッカーへポジティブな感情を抱けなかった時期が私にもあった。何人もの仲間が苦しんでいる姿も見てきた。そんな時は非日常的瞬間などの目に見える結果に囚われず、サッカーにおける日常的な幸せ、つまり純粋にボールを蹴ることの楽しさに立ち返ってみるといいかもしれない。毎日出掛けてばっかでは忙しない。家でゆっくりゆったりと時間を過ごすことも時には必要なのだ。非日常的幸せの根本には必ず何気ない日常がある。この日常の中で幸せを見つけ十分に味わうことができれば、自ずと非日常的幸せへの欲求も湧いてくるはずだ。だから私はボールを蹴る。幸せを求めて。
四回生プレイヤー 山本耕平