【部員ブログ】密だったあの頃
人間味
:人間としての豊かな情緒。また、人間らしい思いやりや、やさしさ。人情味。
(コトバンクより)
コロナウイルスによる部活動自粛。忙しない日常から離れ、一度立ち止まり、自分のことやサッカー部のことを考える時間ができた。
私が好きだったのはサッカーをとりまく熱である。

大学で、プロになれるわけではないのに、自由な時間のほとんどをかけて、サッカーに取り組む。
全然合理的ではないが、サッカー部に集まった人のそれぞれの想いがある。
本心でぶつかれる場であり、損得だけに左右されない場。
〇〇時間練習したら絶対勝てるとかそんな簡単な話ではない。不確実なものに向かっていくことには苦悩がつきまとう。
でも、そんな時に同じような想いを持った仲間がいる。話し合い、高め合い、思い合う。
ピッチに張り詰める緊張感と高揚感。
自分がピッチに立ってチームを救うことはないけれど、一緒に戦っている一員として感情移入できる。心臓がドキドキしてフワフワする。
待ち望んだゴールの瞬間が訪れたとき、大学生にもなって思わず変な雄叫びをあげ、ガッツポーズをする自分がいる。
年をとるにつれて、感情をあらわにすることが少なくなったが、サッカー部に入って、忘れていた気持ちを思い出したようだ。

私は去年スペイン旅行に行って、サッカー観戦をしたのだが、そのときの光景が忘れられない。
大勢の観客が立ち上がり、大声をあげ、ブーイングもし、とにかく熱量がすごい。アナタたち、そんなエネルギーどこに隠してたの?と思うくらい。
コロナウイルスの影響で、ソーシャルディスタンス、リモートワーク、不要不急などと言われ、価値観が変化している。
私は、自分の周りから、人間味を感じる機会が減っていくことに怖さを感じる。
誰も見ていない、静かなピッチに熱量の動きがどれだけあるのだろうか。
サッカーの内容だけが本質になり、素人の私には立ち入れない領域になってしまうのではないか。
京大サッカー部が今まで以上に閉鎖的になり、遠い存在になってしまいそうだ。
不合理だが人間味が溢れていた、サッカーが恋しい。

しかしこんなことをクヨクヨ考えたところで、ウイルスには抗えない。
新しい生活様式に、人間味が薄れる社会に、適応していかなければならないのかもしれない。
3回生マネージャー 渡邉真由子