【KIU BLOG】無神論
神様の存在は信じていないが、大学受験が終わってから合格発表までの間は流石に神様にも願った。
人は自分の力ではどうしようもなくなると神様にも縋るのだろう。いるのかもわからないのに。
なぜ、サッカーを続けているのだろうか。
小学生の頃にクラブに入り、サッカーを始めた。
小さい頃はピアノを習っていたこともあったし、高校生の時なぜかギターを始めてみたこともあった。
色々なところを訪れたし、色々な人に会ってきた。
でも、そのどれもにサッカーより魅せられることはなかった。サッカーへの愛を止めるには非力すぎた。
こうして、大学生になった今でもサッカーという大海原に流され続けている。岸はとっくに見えない。
この海はとても広く、そしてとても深い。もう少し早く引き返せば間に合ったかもしれないが、もう無理だろう。
死ぬまでに辿り着くかはわからないが、対岸に着くまでは流されようと思っている。
神様のような存在の一つにラプラスの悪魔がいる。
この悪魔は、ある時点においての全ての力学的・物理的な状態を完全に把握する能力を持つがゆえに、未来を知ることができるらしい。
まさに神様みたいで、まさに悪魔である。
未来は決まっているのだろうか。
今日何を食べて、何をして、何時に寝るかは決まっているのだろうか。
そしてサッカーに出会ったことも、京都大学でサッカーをしていることも、チームメイトと出会ったことも、初めから決まっていたことなのだろうか。
決定論のように。味気なさすぎる。
20年も生きてきたのに、そしてこれからも生きていくのに、その全てがまるで初めから決まっていたことで、
その決まっていることが順番に起こっているだけだと考えると味気なさすぎる。面白くない。
だから、神様の存在は信じていないし、ラプラスの悪魔も存在していないと思っている。
もしいるとしても自分には関わらないでほしい。未来は知りたくないし、自分の力で変えていると信じていたい。
逆に言えば、未来は決まってないと思うと、寄り道もしたくなる。
大学でサッカー部に所属し、プレーしていることは、人生を鮮やかにしているが、直接的に将来に役立つとは言い切れない。
寄り道かもしれない。でも、決められない未来に今の時間を全てかけるよりも、そのいくらかは、今を彩る寄り道もしたい。
映画『フォレスト・ガンプ』の中で、フォレスト・ガンプはこう言った。
人生はチョコレートの箱のようなもの。開けてみないとわからない。
箱の中に入っているチョコレートは決まっているとしても、プレゼントされた人は開けるまで中に何が入っているかわからない。
私が生まれた時に受け取った箱は、華やかな包装はしていないみたいだ。そして、種類も極端に少ない気がする。
これだけずっとサッカーばかりしているのだ。だいたいどんなプレゼントかはわかった。
今はそのチョコレートを一つ一つ味わっている。意外と飽きない味だ。
そしてまだたくさんあるみたい。
2回生プレイヤー 宮尾昂