【部員ブログ】じゃあ、ジム行く?
どうもこんにちは。
工学部物理工学科2回生の杉坂浩太です。
出身は愛知県の刈谷高校です。
今回、自分の歴史というテーマを与えられ、僕は誰しもが経験する新しい環境での人間関係について書くことにしました。
僕の個人的なことではなく一般に通ずるものについて書くつもりなので、僕個人に興味がない方にも読んでいただけると幸いです。
新しい環境、特に大学といった大きなカテゴリーでは様々なバックグラウンドやマインドを抱えた人々が新たに関係を築いていきます。
大げさに言えば新しい文化に触れるとでも言えるのでしょうか。
その新しい文化に対してどう対応していくのかがどんな人間関係を築いていくかを大きく左右していくと考えます。
異文化理解を進めるには「文化」というものをどう捉えるかが大切です。
文化と文化が接触するときには力関係を伴います。
部活動でいえば先輩、後輩の関係でしょうか。
異文化との出会いによって個人や集団が直接的接触や相互作用を通して他の個人や集団の文化的特性を習得する過程を文化変容プロセスと言います。
そしてその際の異文化接触には大きく分けて四つの種類があります。
1つ目は移動が伴う接触かつ自己選択ができない接触、例えば強制移住、強制移動などです。
2つ目は移動が伴う接触かつ自己選択ができる接触、例えば旅行、留学、進学、移住などです。
3つ目は移動が伴わない接触かつ自己選択ができない接触、例えば植民地支配、訪日外国人との出会いなどです。
4つ目は移動が伴わない接触かつ自己選択ができる接触、例えば自国内で出会う異文化、サブカルチャーなどです。
京都大学のサッカー部では多くの場合2つ目に該当すると思います。
それぞれの場合で異文化と出会ったとき、自文化との違いから私たちは同化、拒否、周辺化、多文化意識といった反応をします。
多くの場合、異文化を持つ他者と「違い」があるからではなく、「違い」の存在を認められないことから、分断が生じます。
僕はこれにより、自分中心主義の周りからいい意味でも悪い意味でも拒否されることが多いです。
彼らは理念なきナショナリズムのような思想から排外主義の思想をもち、僕という「違い」をなかなか受け入れようとしません。
力関係によりねじ伏せる、遅れた思想の持ち主である場合もあります。
それは僕だけではなく、すべての人が経験しうることだと思います。
差異との出会いは自分の中にあるステレオタイプを映し出す、つまり自文化を相対化させます。
人間は自分のアイデンティティの揺らぎを隠すことに必死なのです。
社会的アイデンティティを重視しすぎるあまり、一個人を潰してしまっているのです。
しかし、こういった衝突が一概に悪いものだとは思いません。
自身のアイデンティティを隠し通しながら表層だけの付き合いを続けるより、本音でぶつかり、それを乗り越えていくようなことが部活動のような目的に向かって切磋琢磨していく環境には必要だと思います。
京都大学サッカー部が個性のるつぼとなって個人の特徴が生かされながらも調和のとれる集団になれば素晴らしいと思います。
今シーズンは新型コロナウイルスの影響でどうなるかはわかりませんができることを一つ一つ積み重ねて準備していきたいと思います。
去年一年怪我で試合に出場できず、さらにコロナウイルスによって鬱憤がたまっているので試合でそれが晴らせるように精進します。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
2回生プレーヤー 杉坂浩太