【部員ブログ】人生についての覚書
私は今まで恥の多いサッカー人生を送ってきました。サッカーを始めたきっかけも周りがしていたからという受動的なものであったし、ゴールキーパーを志した理由も走らないでよくて楽そうだからというものでした。今まで続けてこられたのも成り行きに任せたらそうなった、としか言えません。
しかし、何よりも、私にはサッカーに人生をかけている人たちの気持ちが全く理解できませんでした。スーパースターに憧れてプロになりたいと夢を語る子は周囲にいましたが、現実を見れてないだけだろ、とどこか冷めた目で見ざるを得ませんでした。プロになれるのはほんの一握りであり、よしんばなれたとしてもプロの世界で生き残るのは甘くはなく、結果を出さなきゃすぐに首を切られる世界です。そもそもジュニアユース年代でJの下部組織にいないだけで見込みは薄いだろ、と小さいながら考えていました。また、私がそのように考えたのは、サッカーを勉強からの逃げ道として使っている子が多かったからです。週6で練習しているから、だとか、疲れて勉強する気力が湧かない、だとか。これは私がそこそこ勉強できたからかもしれませんが、現実を見ずに、楽しいこと、やりたいことに逃避している、まさしく子供の思考であると考えていました。
中学の最後の大会で負けたとき、少しは悔しいな、と思いましたが、周囲の泣いている子を見て、そこまでのことか、と思いました。今振り返ると自分のなかでは練習試合に負けたくらいの心持でした。
とまあつらつらと斜に構えた見方を書いてきましたが、こんな私でも高校最後の大会で負けた帰りのバスで人知れず泣きそうになりました。人目を気にして泣けないあたりが自分らしいとは思いますが、それでも、中学時代にほとんど何も感じなかったときよりも、人間的に大きな成長ができたのだと思います。
高校時代も中学時代と変わりなくサッカーをしていたと思うのですが、一つ大きく変わったことは「本気」でプロを目指しているAとチームメイトになったことです。私の所属していたクラブチームはジュニアユースから続けてプレーする人が多く、中学でやめることを選ぶ人もいるなかで、その選択をする時点でサッカーに対する情熱は相当のものでしょう。そういった人たちのなかでも、Aは異彩を放っていました。私のチームは奈良にあったのですが、Aは静岡からわざわざサッカーをするために来たのでした。練習には誰よりも早く来てボールを触っていて、練習後のストレッチも欠かしていませんでした。Aの影響もあり、知らず知らずのうちに私も感化されていきました。今まではサボっていたことを比較的真面目に取り組むようになりました。良くも悪くも流されやすい自分ですが、ここにきてようやく、「本気」で物事に取り組むことを覚えたような気がします。
ここから私が得るべき教訓は私が愚者であったということです。賢者ならば歴史から学べるはずであるのに、学べなかった、学ぼうともしなかった。体感してみて初めて、理解できるようになったのです。まあ賢明な皆様ならば言うまでもなく分かっていたことだと思いますが、のべつ幕なしに思うところを書いてみました。一見無理に見え、無茶だと思われることにも、実は無駄ではなかったということです。今回のオチではありませんが、ありきたりにまとめるとこんなところでしょうか。