【部員ブログ】さよなら、長年の相棒
農学部食料環境経済学科の大谷和輝です。僕を知っている人からすればおめぇが何言ってんだ、くさいくさい、いきんないきんな、というような文章をこれから書きます。ですから、見ないでください。
僕は埼玉から京大へやってきた。兄がいる。最近結婚した。おめでとう。その兄の影響でサッカーを始めた。不思議なもんで、兄は水泳もやっていたが、水泳には全く興味を持たなかった。母はやらせようと頑張ったが、僕はスイミングスクールではいつも準備体操をしてから終了5分前のチャイムが鳴るまでずっとトイレに引きこもって、サボっていた。まだ?と聞かれても、うんちまだでないんだよ〜と言いながら。当時小学校一年生で、その頃からすでにサボりのセンスが研ぎ澄まされていたのである。
サッカーは上手いわけでもないがなぜか小中高と続いた。やめようと思ったことは小学校と中学校の頃に一回あるくらいだ。小学校もコーチ達が嫌いだったからだし、中学校も顧問の謎の仕打ちを当時は理解できず(今思えば、愛のメッセージだったのかもしれない)嫌だったからだ。練習がきつかったとかなかったし、サッカー自体を嫌いにはならなかった。多分そこまで本気でやってきたことがなかったからだと思う。小学校の頃は練習中ずっと他のやつにちょっかい出して遊んでたし、中学はサッカーというよりは勉強の環境だった。高校もあまり変わらない。余談だが、そんなサッカー人生だったが、そこで出会った人達はかけがえのない財産であると自信をもって言える。ぜひともこれからも仲良くしていただきたいと思う。
話を戻すが、大学でサッカーをやって初めて本気でサッカーをする、本気の意味を知った。それは京大の練習などを通じてもそうだが、どちらかというと今まで本気でサッカーをしてきた外部のやつらと対戦することで知ることができた。本気で何かに向き合うというのは想像以上に難しくて厳しくて残酷だった。多くの場合、本気で何かに取り組むと、何かを失わなくてはならないと僕は思う。一つのことに没頭し磨きをかけようとすると、(凡人は)他のものに手が出ない。人生の他の選択肢を消さなくてはならないことになる。そんなふうに本気で何かに取り組んで結果が出なかったとき、ケガやなにかで諦めなきゃいけないときの感情や思いはその次元に達しないとわからないのだろう。
僕もまだ本気を知っただけで、本気になりきってサッカーに全てを捧げてるか?と聞かれたら、イエスと答えることはできない。恥ずかしい限りである。けど、昔よりは本気に少しは近づいていると思う。サッカーに注ぐことができる残された時間はもう一年くらいしかない。長年の相棒、天性のサボり癖ともサヨナラの時だ。今までありがとう。俺の人生の中で相当お世話になった部類である。感謝している。
すまんがここからの人生では、本気と付き合うことにする。そしたらいずれ、あの問いにはっきりとイエスと答えることができるようになると僕は信じている。その時は今よりも結果を出しているサッカー選手になれているはずである。いや、絶対なっている。
よね?
3回生プレーヤー 大谷和輝