【部員ブログ】私は体育会サッカー部でマネージャーをしています。
マネージャーの仕事。
スクイズに水を入れ、タイムキーパーをし、ビデオを撮る。写真を撮り、画像を作り、TwitterやInstagramといったSNSを管理する。その他にもチームが強くなるためだったら”何でも”する。
だが、上に挙げた仕事は勝利に直結することはない。私がどんなに上手くビデオを撮ろうが、どんなにかっこいい告知画像を作ろうが、それがゴールに結びつきはしない。言ってしまえば、マネージャーは直接的に勝利に貢献することはできない。
この事実に直面したとき、悩み、苦しむ。
どうして勝利に直結するわけでもないことに、こんなに長い時間を割いているのか?
チームの勝利にマネージャーの存在は無関係なのか?
私の頑張りには意味がないのか?
そして、体育会の部活でスタッフをしている人のほとんどがたどり着く問いにぶち当たる。
「チームにとって自分の存在意義とは?」
悩んで考えて、いろんな人と話して、また悩んで、そして私が出した答え。
それは、
「存在意義なんてものはない。」
世の中に私にしかできない仕事なんてない。私がこのチームにいないといけない、私がいないと困る、なーんてことは全くない。いくらだって代わりはいる。私がいなくたって、誰かが今より少し頑張れば、チームは走り続ける。
これは少し寂しい事実だけど、それはそれで仕方ない。
だけど、私は今もこのチームでマネージャーをしている。存在意義なんてない(かもしれない)のに、ここに居続けることを選んだ。
私の代わりはいるかもしれないけど、私にとってはここがかけがえのない居場所だから。
私にとっては代わりなんていない仲間がいるから。
そんな仲間と勝ちたいから。
勝って喜びたいから。
ただ一緒にいたいから。
引退してからあの時、しんどかったねって笑い合いたいから。
みんなと昇格したいから。
私がマネージャーを続ける理由を羅列するとなかなか利己的。だけど、それでもいいじゃない。だって、私の大学生活なんだから、私がそうしたいならそれでいい。
私は京都大学体育会サッカー部でマネージャーをしています。
3回生MG 学内主務 勝本茉紀