【部員ブログ】教えるって難しい
最上回生、このチームを引っ張る立場になって数ヶ月経ったある日思った。「教えるって難しい」
と。
私たち京都大学体育会サッカー部には指導者がいない。良くも悪くも学生主体でやっている。この状況下では基本的に上回生が下回生にサッカーを教えることが多い。
大学に入るまで自分にとってサッカーは「習うもの」だった。チームには指導者がいて、その人にコーチングをしてもらいながらサッカーを上達させていた。しかし、今自分は後輩たちにアドバイスをしなければならない。初めてサッカーを「教える」立場になっている。
正直、2月や3月、活動停止前は、どう伝えたらその人が成長できるのかよく分からず、なんとなくそれっぽくコーチングをしていた。
コロナの影響で活動停止になり、いささか暇な時間が出来たので、「教える」ことについて考えてみた。指導者でもない、サッカーも大してうまくない私なので、稚拙な考えかもしれないが、この場で話させていただきたい。
なんのために教えるのか。それは選手を成長させるためである。
選手の成長には主体的に考えながらサッカーすることが1番大事だと思う。じゃあどうやって考えさせるか。
ただ単に「自分で判断して考えろ」と言うのではダメである。
これまでのサッカー人生で指導者に「考えろ」と言われたことは1度はあるのではないだろうか。そのとき何を考えたらいいのかはっきり分かっただろうか?
「考えてプレーしろ」「考えて動け」こういった声かけ、指示はあまり良くない。具体性に欠けるし、選手は考えるといっても何を考えたらいいのかが分からない。
では「考える材料を与える」ことをしてみてはどうだろう。
例えば中盤のエリアで前を向いてボールを受けるためには、スペースが重要になってくる。「スペースがある」=「前を向く時間がある」だからだ。早い段階からスペースに居てパスを要求すると相手が寄ってきてそこはスペースでなくなってしまう。つまりスペースに現れてパスをもらう必要がある。そのためにはスペースを作り出さなくてはならない。またそのスペースを誰が使うのかということも考えなくてはならない。
ここでは
「スペース=時間」
「どうやってスペースを作るか」
「誰がスペースを使うか」
という要素が出てきた。これらが考える材料である。これをいくつかのパターン例などを交えながら教えてあげれば、選手は自分で考えて(ピッチの状況を判断して)動くことができるのではないだろうか。
つまるところサッカーを「教える」ということは「考える材料を与える」なのだと私は考えた。
後輩に何を教えればいいのか、どういうアドバイスをすればいいのか、なんとなく掴めたが、ここであることに気づいた。自分自身があまり考える材料を持っていないのだ。自分が持っていないものを他人に与えることはできない。
幸か不幸か今時間はたっぷりある。一刻も早い活動再開を願いつつサッカーの勉強に励みたい。
4回生プレーヤー 藤田健吾