【部員ブログ】欠陥
3回生夏。早い。早すぎる。もう1シーズン半しか残っていない。
コロナ禍の中やっとの思いで活動再開が叶った1回生の夏からもう2年が経過した。知らないうちに「じろう」とあだ名をつけられたり、練習後に回生で公園でサッカーをしたり、みんなの家が近いのが楽しくて夜飯食ってからゲームして朝の4時とか5時くらいに家に帰っていたのが懐かしい。
当時は新たなチームでサッカーができるのが楽しくて毎日胸を踊らせてグラウンドに向かっていた。
そして大学のサッカー部というものを舐めていた。
「まあ半年ぐらいで実力認めてもらってメンバー入りして2回生ぐらいから試合出たい」とか甘い考えだった。
現実はその真逆だった。
今年で14年目になるサッカー人生でこれほどまでに試合から遠ざかるのは初めてだった。でも今までだったらレギュラーから外されたら何くそと思って練習に、自分に真摯に向き合っていた。こんなにもレギュラー争いに闘争心を持てないのは自分でも異常だと分かっている。その異常な状態になってしまったのはなぜか。多分監督あるいはキーパーコーチがいないからだと思う。
中学高校と、ある程度のレベルのレギュラー争いがあった。自分が試合に出る時もあれば出ない時もあった。出てる時は出てない人の分まで闘おうと自分を奮い立たせた。出てない時は少しでもアピールしようと必死こいて練習した。
それで目の色変えて練習してたら大体は報われた。そうやって競争を繰り返してきた。でも京大に来てからそういう競争を実感したことはあまりない。
京大には客観的な目線からメンバーを選考する監督の立場の人がいない。これが自分にとっては大きかった。
自分と同じ立場で練習しているはずの主将、副将がメンバーを決めているのでいつもよりギアを上げてキーパー練習をしても見ちゃいない。いつもより気合いを入れてシュートを止めていても伝わらない。調子の波が上下していても、試合でめっちゃ止めても致命的なミスをしても序列は上がりも下がりもしない。むしろ練習試合で結構活躍したなって思っていたら数日後の練習試合では逆に序列が下がっていたこともあった。結局キーパーに関して京大は「年功序列」である。なんでこの人が出ててこの人が出てないんだろうと思うことも正直あった。
しかし、このような状況になってしまうのは首脳陣の責任とは言い難い。首脳陣だって首脳陣である以前に一プレイヤーだし、キーパーをやらなきゃキーパーの優劣なんか分からないし、これまで4年間一緒にやってきた同期のキーパーを試合に出したいに決まっている。やはり監督やキーパーコーチがいないという京大サッカー部の構造上の問題である。
これは、もうすぐ100年目を迎える歴史ある京都大学体育会サッカー部への意見である。本当に強くなりたいのであれば、選手を客観的に評価する監督が必要である。「学生主体」を謳い、それを伝統とする京大サッカー部。メンバー選考までも学生主体の中に含め、成長の最短経路を歩もうとしないことを誇りに思っていては、京大は新入部員の出来不出来=チームの出来不出来のままである。伝統が足枷になって成長を妨げるのであれば、そんな伝統は葬りさるべきだと思う。
3回生プレーヤー 松島昂太郎