【部員ブログ】父との関係
「自分の歴史」について考えていると、小さい頃の思い出が浮かんできた。
小2からサッカーを始めた私は、仲間やコーチに恵まれ、サッカーが嫌いだと感じたことはほとんどなかった。
仲の良い友人と、毎日本気でサッカーができる時間は、居心地の良いもので、大学でサッカーを続ける道を選んだ理由の一つにもなった。
しかし、トレセンの選考会だけは例外だった。
クラブチーム出身のイケイケプレイヤー。ひげを生やしたベテランコーチ。
初めての環境で、初対面のこんな人たちとサッカーをする時間は、人見知りの私にとって、少し憂鬱なもので、サッカーをたのしむ余裕など全くなかった。
ベテランコーチと仲の良い父は、こんな私の様子を、「小心者だ」と言ってよく笑った。
中学生のとき、香川県(地元)の五色台という所で宿泊学習があり、最後の夜にはキャンドルサービスが催された。
体験学習として一人一人が作った色とりどりのキャンドルは、どれもきれいに灯り、宿泊学習のしめくくりとして完璧だった。
キャンドルサービスのプログラムが無事に終わりかけたとき、急に先生が指示を出し、同級生全員が座らされた。
学級委員として運営を担っていた私も知らないプログラムだったのだが、実は先生のサプライズで、生徒一人一人に親からの手紙が渡されたのだ。
私の手紙は父からであった。
記憶ではこんな感じの内容である。
「実は父さんも子どものとき人見知りで、教員になってようやく克服できた。
人見知りなのは、自分の子どもやけん仕方ないと思う。」
これを読んだときの心がほっとする感覚は今でも温かい。
ただ、私は同級生のように感動して涙を流したわけでも、家に帰って父に感謝を述べたわけでもない。
あの手紙がどこに行ったのかも分からない。
私と父はそういう関係だ(笑)
2回生プレーヤー 橋本晋太郎