【部員ブログ】元気?
コミュニケーションって改めて難しいなって思う。
例えば、英語の先生が授業中に僕に、
”Naohisa, What is your major in university?”
とふいに質問すると、僕は英語を全く話すことができないから、かろうじて聞き取れた単語を頼りに、
”Ah, I play soccer.”
といった具合に答えてしまう。
まぁ大して間違ってはいない。しかし、先生が聞きたいのはおそらく「お前何学部なんだよ」ってなことだろうから、先生は、何言ってんだこいつ、ってな感じで険しそうな顔をするだろう。残念ながら、先生の思いは達成されず、バカな俺はにこにこ笑ってる。俺、サッカー部なんだ。ここに、お互いが共通の言語を使用しているということが、コミュニケーションをより容易にしている。
しかし、同じ言語を使用したからって完全な意思疎通は図れるのか。答えはNOだろう。突然だが、皆さんはアンジャッシュのコントを見たことがあるだろうか。見てない人は今すぐYouTubeに行ってなんでもいいから見てほしい。彼らの代表的なコントの軸となるのは「勘違い」である。あのコントが成立する要因は、一方(渡部)が発言する内容が他方(小島)のとらえ方によっては二つの解釈にとれてしまうという点である。このコントから見てわかるように発言者の表現の仕方によっては、「月がきれいですね」は、「あなたのことが好き」だったり、「月めちゃんこきれいだなぁ」だったりするのだ。
僕が思うに、完全なコミュニケーションというのは不可能なことだ。それは結局、頭の中で考えていることをそっくりそのまま相手に移す技術がないからである。自分が頭の中で考えていることはカオスで、言語、イメージ、その他もろもろが浮かんでいる。そういったカオスを自分なりの表現に置き換える、その時点でそれは純度100%ではないのである。さらに、相手はそれを相手自身の知りうる範囲でそれを解釈し飲み込むため、さらに純度は低くなる。自分の考えていた純アイデアは何倍にも希釈されて、相手の頭に届くのだ。
だからみんなもっと力を抜こう。
正直、今のツイッターは罵詈雑言だらけでとても見てられない。大体が揚げ足取りのようなものばかりだ。インターネット上の言葉は顔色、表情、声色のない無機質なものをいちいち取り上げて文句を言うのはいかがなもんか。ニュースにしてもそうだろう。言葉ですら真意はすべて伝わらないのに、その言葉の一部だけを切り取ったそんな悪意に満ち溢れたものもある。果たしてすべてを白黒はっきりさせる必要はあるのか。面と向かい合って、腹割って話したって、わかんねぇことだってあるだろう。人間は複雑な生き物だ。もっと曖昧にしていいことだってあるだろう。
「元気?」
その一片の言葉から、そいつの真意をたくさん想像することがコミュニケーションの醍醐味だろう。だからコミュニケーションは難しい。
4回生プレーヤー 吉田尚久