【KIU BLOG】考える葦
「人間は考える葦である。」
17世紀の思想家、パスカルが著書『パンセ』の中で述べられた言葉である。
「人間は自然の中では葦のように弱い存在である。 しかし、人間は頭を使って考えることができる。 考える事こそ人間に与えられた偉大な力である」
ということを述べているそうだ。
そんな偉大な力である考えるということは、サッカーというスポーツにおいても非常に重要なことである。
一本のパス。これだけについても考えることは多い。パスのスピード、出すスペース、つける足、敵の寄せ方など。一本のパスから味方がどうして欲しいか、という考えを得ることができるし、自分がどうしたいか、という考えを伝えることができる。コンマ1秒におけるポジショニング。1秒単位でピッチの状況が変わるサッカーにおいて、ポジショニングも相手や味方がどのようなプレーをしたいか、自分がどんなプレーをしたいかを表している。
サッカーでは、このようにめちゃくちゃ複雑なことをピッチ内の22人が同時に考えている。相手、味方、スペース、時間帯、点数差、その他諸々のことを考慮し、90分間、一度として全く同じ場面がない中、プレーとして実行している。こんなにもずっと考えているのだから、サッカーが面白くないはずがないのだ。
大学サッカーを始めてから、約1年と少し、それまでしていたサッカーよりも格段に思考の強度が高くなっているのを感じる。監督やコーチに言われた戦術を実行していた高校までのサッカーとは違い、自分たちが主体となって、考え、サッカーをしているからだと思う。
だから、味方との少しのイメージのズレで、プレーが合わなくなる。人間は相手の思考が見えたり、聞こえたりするわけではないから、当然起こりうることだろう。そのような時は、互いのイメージをぶつけ合い、擦り合わせる。
そうやって、考えを近づけ、イメージがピッタリあった時には、感情が昂る。まるで、相手の心が読めたかのような感覚になってテンションが上がる。
そして、考え、考え、考え続けた先には、勝手に体が動くようになっているらしい。
味方と目があっただけで、ボールの持ち方で、そんな些細なことで、考えが共有できるようになる。サッカーという一つの共通言語を通じて他人とわかりあうのはこんなにも楽しいことなのかと実感する。
これだから、サッカーはやめられないのだと思ってしまう。
しかし、自分はまだ無意識に体が動くような領域には到達していないらしい。
考え、考え、考え続けた先に見える景色は、どのようになっているのだろうか。楽しみだ。
2回生プレーヤー 山口 健太