【KIU BLOG】緩衝材
「なぜ京都大学体育会サッカー部に入ったのか?」
この問いについて考えていると、えも言えぬ奇妙な感覚に陥る。ああ、これは高校の頃に「彼女のどこが好きなの?」と聞かれた時と同じ感覚。笑顔が素敵だ、細かい気遣いができるなど様々な要素が存在していて「○○なところ」と一言で表せない、正にそんな感じ。サッカーが好き、コロナでサークルが入学当初動いてなかった、暇だった、気の合う人が多かった。無数の要素が作用して結果的に入部した。しかしこれらは一要素でしかなく、それら個々で解となり得ない。
残念ながら私はこの問いに答えるに足る語彙を持ち合わせていない。
しかし、サッカー部に所属し続けている理由なら説明できる。上に挙げた要素が緩衝材となり、辞めたいという衝動を抑えてしまうからである。腓骨骨折、足首骨挫傷、靭帯損傷。怪我ばかりで計2年ほどサッカーが出来なかった。辞めてしまおうかと幾度となく思ったが、その都度同じくリハビリチームにいた金沢出身の大男に妨げられた。腹筋30回×6セットを180回×1セットに変更してしまう彼の、筋トレの影響かと思いきやお酒の飲みすぎで体を大きくしていく彼の、スペイン語の単位がいつまでも取れない彼のお陰で部活を続けられた。
学年が上がるにつれ忙しくなり余裕がなくなっても、真剣にサッカーに取り組む楽しさを知ってしまっているから、歓喜も落胆も共有できる環境が魅力的だから続けることが出来た。いくつかの要素が機能しなくなっても、その都度他が誤魔化してくれる。サッカーに限ったことではない。辛い時やしんどい時は、友達と飲みに行ったり、スイーツを食べたり、温泉に行ったり、他の趣味に没頭したりしてストレスを緩和する。
そしてなにより、京都大学サッカー部が私の今の生活において、かなり登板機会の多い緩衝材となっている。辛いことがあっても、部活後にボールを蹴りながらたわいない話をしていればどうでも良くなる。退屈な日常も、リーグ戦に勝った週は世界の色が一段と濃く感じる。
このようにして私の大学生活は京都大学サッカー部に支えられている。
しかし、これまで支えられてきた一方で、私はサッカー部に何か還元できているだろうか。チームを支えてくれている笑顔が絶えないマネージャーに、怪我ばかりの私を万全な状態でピッチに送り出してくれるトレーナーに、ひたむきに努力するみんなに、次どっちかが怪我したら一緒に部活をやめようと約束した後も様々な怪我に苦しんでいるが、変わらず部活に来てチームの士気を高めてくれる某同期に、何か返せているだろうか。
月並みな表現になるが、結果を出すことでしか恩を返せない。必ず優勝・昇格を成し遂げ、歓喜と2部というひとつ上のステージをもって報いなければならない。そしてこの濃密で色鮮やかな日々を思い出として、これからの苦難を乗り越える緩衝材として、山下裕大大学生編を締めくくりたい。
4回生プレーヤー 山下裕大