【部員ブログ】京都大学体育会サッカー部が日本サッカーを牽引する時代
大げさで、非現実的なタイトルだ。
大学サッカーの、しかも関西3部の京大が何を馬鹿なことを言うのかと笑われるだろう。
勉強しかして来なかったお前たちがサッカーの何を知っているのだと嘲笑われるだろう。
笑っていればいい。
笑っている間に私たちは追い抜く。
私の好きなブログに、『くたばっては生まれ変わる場所』というものがある。
3つ上の先輩であり現在もプレーを続けておられる吉田慎吾さんが、3年前に書かれた部員ブログだ。
ご本人に許可を頂いたので、主要な部分を引用させていただく。
京大で部活をやってるやつのほとんどはアホだ。
ちゃんとしたやつなら20歳前後までには、将来どうなりたいかを考え、それに向かって全力で走っている。
同じように大学に通う奴であれば、官僚や弁護士になりたいやつは猛勉強をし、研究者になりたいやつはその分野について日夜研究をし、やりたい仕事があるやつは懸命に就活や起業をし、人生と真剣に向き合っている。
(中略)
一方京大で部活をやるやつの大半は、20歳を超えてもなお、プロになれるわけでもないスポーツに多くの時間を費やしている。
僕はプロサッカー選手になれる見込みはない。それなのに毎日グランドに向かい、将来サッカーのうまさで偉くなったりお金持ちになれたりするわけでもないのに、ボールを蹴り続けている。
周りのやつが夢を真剣に追い、懸命に生きている中で、呑気にスポーツをやっている。幼稚でアホだ。
(中略)
部活には将来も合理性もクソも無い。ぬるま湯でもがき、助け合いながら生きていく身勝手な環境だ。馬鹿みたいにくたばってるやつ同士が、コイツは馬鹿だと笑いながら手を差し伸べあう、そんな場所だ。
部員ブログ「くたばっては生まれ変わる場所」2018.06.20 より (https://ameblo.jp/kyoto-soccer/entry-12385141879.html)
私は今でもこのブログが好きだ。
京都大学体育会サッカー部は今や強豪とは言えない。
完全に古豪だ。
1925年の創部後、関西学生リーグ優勝7回や天皇杯準優勝1回など輝かしい歴史を持つチームだが、今は関西3部。
名実ともに、現状はスポーツ推薦で有力な選手を集める強豪大学に肩を並べるようなチームではない。
一方、周りに目を向ければ京都大学でしか得られない機会がある。
大規模かつ高度な研究施設、国際的に著名な先生方、天才的な頭脳を持つ同世代の学生たち、、、挙げだすとキリがないが、学問の分野では間違いなく日本有数の環境だ。
私も大学院進学を目指す者としてその恩恵を日々受けている。
よって、サッカーで食べていくことを考えない場合、京都大学という場所で多くの時間をサッカーに費やすということは確かに馬鹿げたことなのかもしれない。
そんな馬鹿げた、非合理的なことだとしても、『それでもやる』と決心した人間が集まるのが京都大学体育会サッカー部でもある。
そういう解釈をすれば、部活は間違いなく『くたばっては生まれ変わる』場所であり、ただそれでしかない。
そんな自分たちに酔ってしまっているような部分も多少ある。
しかし、これでは自分たちの可能性を限定してしまっているようだ。
すなわち、“サッカーで食べていく“という選択肢を無意識に消してしまい、サッカーでの可能性を限定してしまっている。
自分達は馬鹿だ、京大生のサッカーでの挑戦など馬鹿げたことだと、自分で自分を批判してしまっている限り、本当に馬鹿の域を脱することは不可能だ。
私はここに断言する。
京都大学体育会サッカー部が日本サッカーを牽引する時代は、来る。
私たちが信じる限り、間違いなく来る。
どんな形かはわからないし、根拠も無い。
なんて言ったら、また笑われるのだろう。
しかし、逆に問うてみる。
強豪大学のようにスポーツ推薦で選手を集めることができれば、必ず日本サッカーを牽引できるのだろうか。
また、サッカーエリートが集うJリーグだけが、日本サッカーを牽引しているのだろうか。
牽引できる、していると信じるのであれば、そこに確たる根拠はあるのだろうか。そして、それは果たしてこれからも続くのだろうか。
確かに、近年大学サッカー界は注目されている。三笘薫選手や相馬勇紀選手、少し年代が上の選手だと古橋享吾選手や室屋成選手、もっと上だと長友佑都選手や中村憲剛選手など、強豪大学からJリーグに進み国内外で結果を出す選手は多く存在するし、人間的成長ができるという点も評価されている。
Jリーグも近年成長目覚ましく、世界的に注目されている。Jで育った選手がヨーロッパへ移籍することは本当に増えたし、逆にヴィッセル神戸のイニエスタ選手をはじめとして多くの世界的な選手がJリーグを選択肢に入れている時代だ。
しかし、日本代表の戦績を見れば、W杯のベスト8には未だに進めていない。
TOKYO2020オリンピックの男子サッカーでは歴代最強の布陣と叫ばれながらも53年ぶりのメダルが獲れなかった。
ここで私は、強豪大学やJリーグ、その下部組織のチームや、あるいはそこに所属している“サッカーエリート“たちが日本サッカーの発展に寄与していない、と言いたいわけではない。
そうではなく、
私は「“サッカーエリート“こそが日本サッカーを牽引する」という固定観念、いわば“サッカーエリート至上主義“を疑うことを提案する。
ただでさえ21世紀は変化の激しい時代だ。
それなのに、あろうことか新型コロナウイルス感染症がその変化の速度をさらに速めてしまっている。
サッカーにおいても、近年はどんどん新たなプレーモデルが生まれているし、プレーの周りに目を向ければVARの導入やGPSによる分析が進んでいたり、競技規則ですらも毎年激変が続いている。
とりわけ大学サッカーにおける変化については、拙文だが昨年のブログで触れてみたところだ。
さらに、サッカーというものは私たちに、そのすべてを理解することを許してくれない。
プレーモデルのトレンドの変化がそれを物語るようだ。
サッカーは不完全で混沌としたスポーツであり、同じプレーなんて二度と起こらないし、わからない部分が多すぎる。
どんなに強いチームでも勝てない試合だってある。
今日の正解は必ずしも明日の正解ではない。
そう、私たちが見ているサッカーというものはそのほんの一部に過ぎないとともに、これほどまでに変化が激しい時代なのだ。
こういう時代にあって“サッカーエリート至上主義“のようなステレオタイプな発展を疑う余地を持ってもいいのではないだろうか。
いや、もはやサッカーエリートという言葉の定義すら変更の余地がある。
国際大会で大きなブレイクスルーを起こせていない日本のサッカー界が、常識を疑い新たな可能性を探す千載一遇のチャンスであると思う。
また、日本の若きサッカー小僧たちの選択肢も増えると思う。
サッカーが大好きな子どもたちこそ勉強も疎かにせずに東大や京大に進み、新たな道を切り拓くような時代にならないものか。
選択肢はもっと多様でいい筈だ。
さて、もう一度宣言する。
京都大学体育会サッカー部が日本サッカーを牽引する時代は、来る。
私たちが信じる限り、間違いなく来る。
どんな形かはわからないし、根拠も無い。
わかることといえば、その形は『プロサッカー選手』という形だけではないだろうということと、京都大学の“自由の学風“が後を押してくれるだろうということだ。
自らの心が本当に突き動かされるフィールドにおいて、自らに課題を課し、自由な発想で未知の領域を切り拓きオンリーワンを目指す。
これが京都大学の“自由“の精神だ。
大学生活をサッカーに捧げる私たち京都大学体育会サッカー部に、そしてサッカーという未知のスポーツにピッタリではないか。
私は今、一見すると非現実的なゴールを想い描いた。
しかし、想い描いたら最後、世界は変わる。
世界を変えられるのは“非現実的な馬鹿野郎“しかいないと思っている。
私はこの部活の副将として、残り4カ月、最後の一滴まで自分を使い果たし『京大サッカーに熱狂する』という理想像を体現するとともに、もっともっと大きな夢と理想をこの部活に置いて引退していくことを誓う。
サッカー人生は続く。京大サッカー部の歩みも続く。
この先が楽しみでならない。
P.S.
いつも弊部にご支援・ご声援を頂いているOBOGの皆様、保護者の皆様、スポンサーの皆様、本当にありがとうございます。皆様には感謝してもしきれません。
今シーズンの終わりに必ず良い報告ができるよう、日々精進してまいります。
4回生プレイヤー 副将 酒井雄飛
とても心動かされる文章をありがとうございます。筑波大学蹴球部OB、Aruga株式会社代表の木村と申します。自分も筑波大学蹴球部という主体的かつ自由な組織のおかげで今があり、共感するところが多かったです。応援しています。
木村様
あたたかいメッセージを頂きありがとうございます。執筆させて頂きました副将の酒井と申します。
筑波大学蹴球部さんには高校時代から練習試合をさせて頂いたり、現在も高校の同期が所属していてピッチ外活動で少し交流があったりと、とてもお世話になっております。
またどこかでお目にかかれますと幸いです。