【部員ブログ】 新・堕落論
この文章は、坂口安吾の「堕落論」を都合良く解釈し、勝手に自分自身に当てはめたものであり、間違ったことを書いてるかもしれないが許して欲しい。
坂口安吾は人間は堕落するものだと言う。
しかし、また、人間は堕ちぬくためには弱すぎるとも言う。
堕落を防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。
しかし、人間の心は苦難に対して鋼鉄のごとくではありえないので、人間は永遠に堕ちぬくことができない、と。
ああ、なるほど。
僕には堕落しきるほどの強さがないのだ。
特にサッカーに対してだ。
ここでは、サッカー(体育会でやるような本気のサッカー)を辞めることが堕落にあたるとしよう。いや、断定しないとこの文章が破綻してしまうので断定させてもらう。
サッカーを辞めることが今の僕にとっては堕落である。
サッカー部を辞め、有り余った時間を自分の好きなことに費やせる。
旅行、読書、映画、友達とだっていくらでも遊べる。
もちろん学業も。
堕落って最高じゃないか。
でも、今じゃない。
サッカー部を辞め、自分の道を行く友達を羨ましく思う。
僕もサッカー部を辞めようと本気で悩んだことが何度かある。
しかし、サッカーを辞めると決意する強さが僕にはない。
サッカー中心の人生からサッカーがなくなるのが怖いのだ。
プロの世界なんてとっくの昔に諦めてる。
堕落しきれないのだ。
だから、小さい頃の夢を諦めきれず(諦めたんだけど、その幻影を追っているかのように)、今もなおサッカーを続けている。
諦めが悪いやつだ、才能がないとわかればさっさと辞めて他のことに尽力すれば将来的には良いのに。
そりゃいつかは辞める。
しかし、これからもサッカーに執着し続けるであろう。
これが僕の人間的な弱さであり、堕落してゆく自分に対してできる最大限の足掻きである。
大学でなぜサッカーをやるのかと問われて、カッコつけて人間的成長だとか答えるやつは嘘つきだ。
ただただサッカーが好きで、辞められないだけだろう。
サッカーを辞める自分が怖くて、続けているだけだろう。
大層な理由なんてない。
好きなことに理由なんて要らない。
それで良いじゃないか。
3回生プレーヤー 高橋拓伸