【KIU BLOG】最低限の
『より多くの勝利を、そして、歓喜を、届ける。そのために自分の全てを尽くそう。』
おそらく、このような事を書いているはずだった。
10月2日。それまでのうだるような暑さとはうってかわり、冷たい夜風がグラウンドに靡いていた。体が妙に軽かった。調子が良かった。それも今までで最もと言っていいほど。いや、良すぎたのかもしれない。だから気をつけなければいけなかった。

「バチンッ。」完璧なシュートブロックだった。これ以上ないであろうディフェンスに周りから仲間の歓声が上がっていた。良い調子で週末を迎えられるはずだった。けれど、痛みで立ち上がることができなかった。
翌日、病院に行き、精密検査を受けた。そこで医師から告げられたのは大学サッカーの終わりであった。40以上あったタイムリミットが突如として0になった。全くもって受け入れられなかった。受け入れられるはずがなかった。

その日から約1週間、ほとんど部には参加しなかった。サッカーを見たくなかった。部員と顔を合わせたくなかった。いろんな理由があったが、全ては自分の心の弱さだった。
ベットの上で動かない右足を置いたまま、様々なことを考えた。なぜこんなことになってしまったのか。なぜこんなタイミングなのか。プレーヤーを引退するか。結局のところ、自分がタイミングの悪いときに怪我をすることしか答えは出なかった。小学生の頃、最後の大会前に怪我したこと。中学生の頃、初めてAチームに昇格するタイミングで長期離脱したこと。そして、その古傷たちが今となって再発したこと。人がいかに過去の過ちを忘れ、何度も同じ間違いをしてしまうのかをこの身に痛感した。

週明け、地元のスポーツ病院に行った。より専門の方に診察してもらいたかったのか。あるいは、初診を受け入れられなかったからか。あるいは、たった一言、『まだ間に合う。』という言葉が欲しかったのか。結果、足首は想像以上にボロボロだった。けれどそんなことは些細なことだった。
『ギリギリ間に合うかもしれない。』
医師から告げられた言葉で再び残り時間は動き始めた。そんな言葉はもはやただの気休めかもしれない。けれど自分にとってこれほど希望に満ちた言葉はなかった。
グラウンドに戻り、ただひたすらに復帰に向け、リハビリを行なった。思うように体が動かなかった。怪我が痛いときもあった。激しい動作にビビってしまう自分がいた。多少の文句は言ってたかもしれない。けれど、リハビリ中、心が折れることは決してなかった。2カ月前、近い境遇にあったあいつが戻ってこれたんだからと。こんなちっぽけな怪我では、プレーヤーを引退してもチームに貢献するあいつらに顔向けできんのかと。

この3週間は自分にとって、大学サッカーで最初で最後の長期離脱だった。
多くのものを目にした。毎週末のためにひたすら動画の分析をするアナリスト。選手よりも早く来てピッチ外を整備するマネージャー。ピッチ外から声を枯らし応援し続ける仲間。練習外の時間に苦手に取り組む仲間。いろんな人に迷惑をかけた。多くの人に支えてもらった。松葉杖を家まで担いでくれた同期。叱咤激励をかけてくれる同期。飯に連れていってくれた先輩。ピッチで復帰を待ちわびている後輩。帰れる場所を用意してくれた両親。復帰まで伴走してくれたトレーナー。

これほどまでに自分が周囲に支えられているのだと、そして、あの頃、ピッチに立っていた自分が支えられていたのだと、感謝しかなかった。
多くの恩をもらいすぎてしまった。
どれほどを返せているのだろうか。
もう全てを返すには時間がないのかもしれない。
だから最後に、もう一度ピッチに立ち、濃青のユニフォームを見せられれば。
そして願わくば、最後のホイッスルの瞬間、ピッチで仲間と歓喜の輪を作れれば。
最低限の恩返しはできるだろうか。
4回生プレーヤー 山口健太
